「実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを
信じなかったのですが、驚いたことに、私にはその半分も
知らされていなかったのです。
あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかに
まさっています。」
列王記第一10:7
ソロモン王はイスラエル全盛時代の王様でした。
その飛び抜けた知恵と富と繁栄の噂を聞いて、シェバの女王
(現在のイエメン)がソロモン王に謁見を求めてきました。
彼女はソロモン王についての噂があまりにも現実とかけ離れて
いたので、心の中で噂には尾ひれが付いているに違いない
と思っていたのです。
ところが実際にエルサレムに来たところ、噂をはるかにしのぐ
事実を目の当たりに見、息も止まるばかりでした。
実はソロモンは後に登場するイエス・キリストを指しています。
パウロはキリストについて
「キリストの計りがたい富」
とか、
「キリストの無尽蔵の富」
という言葉を使っています。
シェバの女王はソロモンの知恵と富に驚いていますが、私達も
キリストに出会う時、同じように息を呑むばかりに驚くことに
なるのです。
あなたもこのキリストに出会う機会に恵まれるようにお祈り
いたします。
宇野 雄司

全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。
喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。
感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。
主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。
詩篇100:1-5

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます」
マタイ11;28
こう呼びかけておられるのは、キリストです。
呼びかけられているのは、
重荷を負ったあらゆる人、
疲れているすべての人
です。
キリストは、どんな重荷でも疲れでも引き受け、その人を心ゆくまで
休ませてくださいます。
こんなことを保証してくれる方が、ほかにいるでしょうか。
また、この保証は真実でしょうか。
それは、この2000年、信じたすべての人々の間で実証されてきた
「安らぎ」
であり、
今も世界中の多くの人々が実体験している
「休息」
です。
それは、キリスト以外、誰もなしえなかったことです。
しかも、これは逃避のための休息ではありません。
希望を見つけさせるための休息です。
神の力を受けて、自分にもできると確信を持たせるための安らぎです。
今、重荷のために、将来が見えなくなっていませんか。
キリストの安らぎを得たら、自分に向かって差し込んできている光が
見つかります。
そして、苦しんでいることが実は大したことではない、とわかってきます。
今、疲れのために、自分には無理だとあきらめていることがありませんか。
キリストのもとで休めば、
「私は、私を強くしてくださる方によって、何でもできる」
ピリピ4:13
という信仰が生まれます。
では、キリストは、なぜ私たちを休ませることができるのでしょうか。
私たちの重荷や疲れの根源は、罪です。
しかし、キリストは、私たちのすべての罪を背負って十字架にかかり、
罪の力を自分もろとも滅ぼしてくださいました。
それで、私たちを休ませ、重荷を解消し、疲れを癒せるのです。
川端先生

「初めに、ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。」
ヨハネ 1:1
聖書では、はじめに神が言葉によって、この地球も、宇宙も、人間も
創られたということが書かれています。
それは、まさに命を生み出す、愛の「ことば」だったように思います。
私たち人間の言葉であっても、言葉には力があって、人を生かすことも
できるし、極端な話、殺すこともできます。
ありがとう、うれしいな、よかった、好きだよ、いいね、もー最高!
...なんて言葉を、たとえ意味はなくても、ただ繰り返してみるだけで、
気分は変わってくるものです。
逆に、嫌だな、嫌いだな、面倒くさい、サイテー、うざい、死ねば...
こういった否定的な言葉を繰り返していると、何も悪いことがなくても、
なんだか人生全体、暗い嫌な気分になってきませんか?
しかし、私たちは、ただ偶然、偶発的に、なんとなく存在しているわけでも
無価値で、最悪、最低な存在として、生まれてきたわけではないのです。
クリエイターである神の明確な意思、目的、愛...、はじめに「ことば」があって、
存在しているわけです。
ヨハネは、その「ことば」そのもの、その根源を、イエスという存在の中に
見出していったのです。
「すべてのものは、この方によって造られた...
この方にいのちがあった。
このいのちは人の光であった。」
ヨハネ1:3~4
私たちは、普段、どんな言葉を発し、どんな言葉を聴いているでしょうか。
決して、いい言葉ばかりとは限りません。
それを避けて生活することも、現実的に不可能でしょう。
しかし、であるからこそ、人を生かす愛の「ことば」を多く聞いていきたい
ものですね。
「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。」
見よ...、それは非常によかった...!!」
創世記1:31
竹下先生

人類の最初の仕事が何かご存知でしょうか。
種まき ?
家作り ?
狩 ?
道具作成?
下着作成・・・?
聖書の創世記をみてみましょう。
「神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、
それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。
人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。」
創世記 2:19
アダムが神に命じられたのは、獣と鳥に名前を付けることでした。
すべての獣と鳥ですから、その数は膨大です。
アダムはそれぞれに相応しいネーミングをしたのでした。
ネーミングには、知恵が必要です。
アダムは聡明な人であったことが分かります。
それでは、その仕事に対する報酬は何だったのでしょう。
「 こうして人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、
人にはふさわしい助け手が、見あたらなかった。
そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。
それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、
その女を人のところに連れて来られた。
すると人は言った。
「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。
これを女と名づけよう。
これは男から取られたのだから。」
それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」
アダムは最初の仕事を終えた後に、神からエバ(イブ)という最高の祝福を
いただくことになりました。
私たちの仕事も、神から与えらえた仕事を忠実に行うことによって、
神の大きな祝福があることでしょう。
ジェネシス













