wind-designとは
昔から風は神の息と言われてきました。また聖霊(神の霊)は風とも言われています。
聖霊は吹きたいところを吹きます。
WIND DESIGNは風の吹くまま、知恵の宝庫であり、祝福のもとである聖書に書かれている言葉を紹介・配信するサイトです。
全て必要なことは聖書の中に書いてあります。
「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
ヨハネ8:32

どこの宗派にも属さず、宗教という形式ではなく、自由でのびのびとした視点で解説しています。
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(ものみの塔・モルモン教・統一原理とは無関係です)
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ソロモンの知恵と富
2008年8月 6日

「実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを

信じなかったのですが、驚いたことに、私にはその半分も

知らされていなかったのです。

あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかに

まさっています。」

 列王記第一10:7

ソロモン王はイスラエル全盛時代の王様でした。

その飛び抜けた知恵と富と繁栄の噂を聞いて、シェバの女王

(現在のイエメン)がソロモン王に謁見を求めてきました。

彼女はソロモン王についての噂があまりにも現実とかけ離れて

いたので、心の中で噂には尾ひれが付いているに違いない

と思っていたのです。

ところが実際にエルサレムに来たところ、噂をはるかにしのぐ

事実を目の当たりに見、息も止まるばかりでした。

実はソロモンは後に登場するイエス・キリストを指しています。

パウロはキリストについて

「キリストの計りがたい富」

とか、

「キリストの無尽蔵の富」

という言葉を使っています。

シェバの女王はソロモンの知恵と富に驚いていますが、私達も

キリストに出会う時、同じように息を呑むばかりに驚くことに

なるのです。

あなたもこのキリストに出会う機会に恵まれるようにお祈り

いたします。

 宇野 雄司

感謝の賛歌 詩篇100:1-5
2008年7月 1日

全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。

喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。

知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。

感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。

主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。

詩篇100:1-5

あなたを休ませる方がいる
2008年6月30日

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

 わたしがあなたがたを休ませてあげます」

マタイ11;28

こう呼びかけておられるのは、キリストです。

呼びかけられているのは、

重荷を負ったあらゆる人、

疲れているすべての人

です。

キリストは、どんな重荷でも疲れでも引き受け、その人を心ゆくまで
休ませてくださいます。

こんなことを保証してくれる方が、ほかにいるでしょうか。

また、この保証は真実でしょうか。

それは、この2000年、信じたすべての人々の間で実証されてきた

「安らぎ」

であり、

今も世界中の多くの人々が実体験している

「休息」

です。

それは、キリスト以外、誰もなしえなかったことです。

しかも、これは逃避のための休息ではありません。

希望を見つけさせるための休息です。

神の力を受けて、自分にもできると確信を持たせるための安らぎです。

今、重荷のために、将来が見えなくなっていませんか。

キリストの安らぎを得たら、自分に向かって差し込んできている光が
見つかります。

そして、苦しんでいることが実は大したことではない、とわかってきます。

今、疲れのために、自分には無理だとあきらめていることがありませんか。

キリストのもとで休めば、

「私は、私を強くしてくださる方によって、何でもできる」
ピリピ4:13

という信仰が生まれます。

では、キリストは、なぜ私たちを休ませることができるのでしょうか。

私たちの重荷や疲れの根源は、罪です。

しかし、キリストは、私たちのすべての罪を背負って十字架にかかり、
罪の力を自分もろとも滅ぼしてくださいました。

それで、私たちを休ませ、重荷を解消し、疲れを癒せるのです。

川端先生

人を生かす『ことば
2008年6月30日

「初めに、ことばがあった。

 ことばは神とともにあった。

 ことばは神であった。」

ヨハネ 1:1

聖書では、はじめに神が言葉によって、この地球も、宇宙も、人間も
創られたということが書かれています。

それは、まさに命を生み出す、愛の「ことば」だったように思います。

私たち人間の言葉であっても、言葉には力があって、人を生かすことも
できるし、極端な話、殺すこともできます。

ありがとう、うれしいな、よかった、好きだよ、いいね、もー最高!

...なんて言葉を、たとえ意味はなくても、ただ繰り返してみるだけで、
気分は変わってくるものです。

逆に、嫌だな、嫌いだな、面倒くさい、サイテー、うざい、死ねば...

こういった否定的な言葉を繰り返していると、何も悪いことがなくても、
なんだか人生全体、暗い嫌な気分になってきませんか?

しかし、私たちは、ただ偶然、偶発的に、なんとなく存在しているわけでも
無価値で、最悪、最低な存在として、生まれてきたわけではないのです。

クリエイターである神の明確な意思、目的、愛...、はじめに「ことば」があって、
存在しているわけです。

ヨハネは、その「ことば」そのもの、その根源を、イエスという存在の中に
見出していったのです。

「すべてのものは、この方によって造られた...

 この方にいのちがあった。

 このいのちは人の光であった。」

ヨハネ1:3~4

私たちは、普段、どんな言葉を発し、どんな言葉を聴いているでしょうか。

決して、いい言葉ばかりとは限りません。

それを避けて生活することも、現実的に不可能でしょう。

しかし、であるからこそ、人を生かす愛の「ことば」を多く聞いていきたい
ものですね。

「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。」

 見よ...、それは非常によかった...!!」

創世記1:31

竹下先生

人類最初の仕事とは?
2008年6月30日

人類の最初の仕事が何かご存知でしょうか。

種まき ?

家作り ?

狩 ?

道具作成?  

下着作成・・・?

聖書の創世記をみてみましょう。

「神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、

 それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。

 人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。」

創世記 2:19

アダムが神に命じられたのは、獣と鳥に名前を付けることでした。

すべての獣と鳥ですから、その数は膨大です。

アダムはそれぞれに相応しいネーミングをしたのでした。

ネーミングには、知恵が必要です。

アダムは聡明な人であったことが分かります。

それでは、その仕事に対する報酬は何だったのでしょう。

「 こうして人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、

 人にはふさわしい助け手が、見あたらなかった。

 そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。

 それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。

 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、

 その女を人のところに連れて来られた。

 すると人は言った。

 「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。

 これを女と名づけよう。

 これは男から取られたのだから。」

 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」

 
アダムは最初の仕事を終えた後に、神からエバ(イブ)という最高の祝福を
いただくことになりました。

私たちの仕事も、神から与えらえた仕事を忠実に行うことによって、
神の大きな祝福があることでしょう。

ジェネシス